Fさんの場合群発頭痛
「マスター、コーヒーおかわり」
「ちょっと、マスターはやめてくださいって。喫茶店じゃなくて、うちはカフェなんですから!」
明るい笑顔で常連客にそう応えると、Fさんはカウンターの奥で丁寧に豆を挽き始めます。思い切って会社を辞め、小さな店を始めてから1年が経ちました。来店客は途切れることなく順調な毎日です。その日も慌ただしく過ぎ去り、店を閉めて自宅に帰るFさん。さっとシャワーを浴びると、あくびを浮かべてベッドに入ります。眠りに落ちてしばらく経った頃、その“事件”は起きました。
「!?」
まるで目の奥をえぐられるような激痛でした。思わず飛び起きるFさん。右目は真っ赤に充血し、とめどなく涙と鼻水があふれ出てきます。
「うう……ああっ」
痛い!痛い!Fさんはベッドの上でのたうち回りながら、自分の身に一体何が起きたのか必死に考えようとしますが、しかし頭に浮かんでくるのはただ、痛い!痛い!痛い!! それから30分ほど経っても痛みは引かず、汗だくの手でFさんは電話を握ります。
「すみません、救急車を1台お願いします……!」
時間はすでに深夜。救急病院に搬送された後もしばらく痛みに苦しんでいたFさんですが、診察に当たった若い医師は何度も首をひねります。
「うーん、おかしいですね、どこも異常はないのですが」
検査の結果は正常な値を示し、所見的にも特に引っかかる点はないとのこと。Fさんは、まさかこの激痛で異常がないなんて、と納得できませんでしたが、医師の見解は変わりません。症状はすでに落ち着いていたため、タクシーで自宅に戻ったFさん。空はもう明るくなり始めていました。
「……何だったんだろう、あの痛みは?」
寝不足に耐えながら、翌日もいつものように店の営業を終え、自宅への道を歩く途中にぼんやりと考えます。これまで経験したことのないような激しい痛み、あんなものが現実に起こるものなのか? あれは夢だったのではないか……? モヤモヤした気持ちを紛らわせるため、自宅に戻ったFさんは、ウイスキーの瓶とグラスを手にします。しかし、決して夢でなかったことは、その夜すぐに明らかになるのでした。
「うわっ、まただ!」
昨夜とほぼ同じ時間でした。目の奥をえぐられるような激しい痛みが再びFさんを襲います。加えて、頭の側面のほうまで強く痛むように。じっと横になっていることができず、起き上がって部屋の中をうろうろと歩き回るFさん。やはり昨夜と同じように、その後およそ2時間、つらい症状は治まりませんでした。
経験したことのない激しい痛み。
どうすればいいかわからないFさんでしたが……
それからも同じ痛みがほとんど毎日続きました。体力も気力も次第に削られていき、Fさんは店を休みがちになります。何度目かの『臨時休業』の張り紙を目にした常連客たちは、これはおかしいぞ、とFさんに電話を入れてみるのでした。
「どうしたんだよマスター、みんな心配してるよ」
カフェなんだからマスターはやめてくださいよ!といつものように返す元気もなく、力のない声で「すみません」と謝るFさん。自身の症状のことや、救急病院の診断では異常がなかったこと、どうすればいいかわからず悩んでいることを伝えました。
「そうか、最近すごく疲れた様子だったのは、そういうことだったのか」
常連客たちは電話で聞いた言葉を手がかりに、Fさんの症状についてそれぞれ調べてみることにしました。そして、一人があるキーワードにたどり着きます。
「もしかするとマスターって……群発頭痛じゃないかな?」
常連客のアドバイスを聞き、今度は頭痛専門のクリニックを受診してみることにしたFさん。診断結果は、やはり「群発頭痛」でした。医師の説明によると、群発頭痛はまれなタイプの頭痛で、一度起こると数週間から数ヵ月続くパターンが多いとのこと。飲酒で誘発されるケースも多いとのことでした。
「お酒を飲むのはダメだったんだな……」
クリニックからの帰り道に店へ寄り、いつから営業を再開しようかと思案していたところに、スマートフォンの通知が鳴ります。見ると、常連客たちから数多くのメッセージが届いていました。
『診断結果、どうでした?』
『しばらくは無理しないでね!』
『何か手伝うことある? 遠慮せずに言ってよ』
『マスターのコーヒーじゃなきゃダメなんだ。みんな待ってるからさ』
胸に熱くこみ上げるものを感じながら、一人ひとりにメッセージを返していくFさん。群発頭痛と診断されたことを報告するとともに、しかし元気なところも見せようと、最後の一文にはこう打ち込むのでした。
『ありがとうございます。でも、マスターはやめてくださいよ、うちはカフェなんですからね!』
解説
脳神経内科部長・頭痛センター長
今井 昇先生
群発頭痛は、片頭痛や緊張型頭痛と同じく、頭痛の原因となる疾患がなく頭痛そのものが病気である頭痛ですが、他の2つに比べると患者数が少なく、まれなタイプの頭痛です。それゆえに発見が遅れることも少なくないため、上記のような症状に心当たりのある方は、病院を受診して医師にご相談ください。